相転移と超伝導の世界

マルチバンド超伝導の物理:基礎原理、材料設計、および材料応用への示唆

Tags: 超伝導, マルチバンド超伝導, 材料物性, 電子構造, 材料設計, 物性物理

はじめに

超伝導現象は、特定の材料が臨界温度以下で電気抵抗ゼロ、および完全反磁性を示す極めて興味深い量子現象です。その基礎理論として、フォノンを介した電子対形成機構を説明するBCS理論が知られています。多くの超伝導体はこのBCS理論の枠組みで理解可能ですが、近年の研究により、電子構造がより複雑な材料において発現する「マルチバンド超伝導」が注目されています。

マルチバンド超伝導体では、複数の電子バンドがフェルミ準位を横切っており、それぞれのバンドで異なる超伝導ギャップが開いたり、バンド間で電子対形成相互作用が存在したりします。このような複雑な電子構造は、従来の単一バンドモデルでは説明できない特異な物性や、臨界温度($T_c$)を含む超伝導特性の多様性をもたらします。本稿では、マルチバンド超伝導の基本的な物理原理、代表的な材料系、材料設計における考慮点、そして応用への示唆について解説します。

マルチバンド超伝導の基本的な物理原理

BCS理論は、単一の電子バンドにおけるクーパー対形成とその凝縮を記述します。ここでは、フェルミ準位近傍の電子状態密度がエネルギーに対して一定であると仮定され、一つの超伝導ギャップ$\Delta$が存在すると考えられます。

一方、マルチバンド超伝導体では、複数の電子バンド(例:バンド1, バンド2, ...)がフェルミ準位を通過します。これらのバンドは、異なる有効質量、異なる分散関係、そして異なる電子-フォノン相互作用や他のペアリング相互作用を持つ可能性があります。結果として、各バンドで異なる大きさの超伝導ギャップ$\Delta_i$($i$はバンドインデックス)が開くことが理論的に予測され、実験的にも観測されています。

また、バンド内でのペアリング相互作用に加えて、異なるバンド間での電子ペアの散乱、すなわちバンド間ペアリング相互作用も重要になります。このバンド間相互作用は、バンド内相互作用を強めたり弱めたりするだけでなく、超伝導ギャップの符号構造に影響を与える可能性があります。例えば、鉄系超伝導体で議論されているs++波状態(全てのバンドでギャップが同符号)やs+-波状態(異なるバンド間でギャップが異符号)は、このマルチバンド性に由来する特徴的な状態です。

マルチバンド超伝導の理論は、複数の超伝導ギャップを導入したBCS理論の拡張として記述されることが多いですが、バンド間の相互作用の取り込み方によって様々なバリエーションが存在します。特に、バンド間相互作用が強い場合、各バンドの超伝導ギャップは独立ではなく、互いに影響し合う連立方程式の解として決定されます。これにより、あるバンドの超伝導性が他のバンドの超伝導性を「誘起」するような現象も起こり得ます。

代表的なマルチバンド超伝導材料

マルチバンド超伝導の概念は、初期には遷移金属や合金で議論されていましたが、近年ではより複雑な電子構造を持つ材料系でその重要性が広く認識されています。

二ホウ化マグネシウム (MgB$_2$)

MgB$_2$は、2001年に$T_c$が39 Kと比較的高温であることが発見された超伝導体です。この材料の電子構造は、ホウ素原子からなる層状構造に由来する複数のフェルミ面を持ちます。具体的には、二次元的な$\sigma$バンドと三次元的な$\pi$バンドが存在します。実験的に、MgB$_2$では約7 meVの大きな超伝導ギャップと約1.5 meVの小さな超伝導ギャップの二つのギャップが存在することが明らかになっており、これは$\sigma$バンドと$\pi$バンドにそれぞれ対応すると解釈されています。$\sigma$バンドの電子-フォノン相互作用が非常に強く、これが比較的高い$T_c$の起源の一つと考えられています。このように、MgB$_2$はマルチバンド超伝導を理解する上で最も典型的な材料の一つです。

鉄系超伝導体

2008年に発見された鉄系超伝導体は、鉄を含む層状化合物であり、その多様な結晶構造と物性から活発な研究が行われています。鉄系超伝導体は、鉄のd軌道に由来する複数の電子バンドがフェルミ準位を形成しており、典型的なマルチバンド超伝導体です。そのフェルミ面は、電子ポケットとホールポケットが複雑に入り組んだ形状をしています。

鉄系超伝導体における超伝導ペアリング機構については現在も議論が続いていますが、スピンゆらぎを介したペアリングが有力視されており、マルチバンド構造とバンド間相互作用がその機構に深く関わっていると考えられています。ギャップ構造も材料によって多様であり、s++波やs+-波の他にも様々なタイプが存在する可能性が指摘されています。例えば、LaFeAsO$_{1-x}$F$_x$などの1111系、BaFe$_2$As$_2$などの122系、FeSeなどの11系など、結晶構造や化学組成の違いにより$T_c$や磁場応答などの超伝導特性が大きく変化します。

その他のマルチバンド超伝導体

上記の他に、SrTiO$3$のような強誘電体量子常誘電体で発現する超伝導もマルチバンド性を持つと考えられています。SrTiO$_3$の超伝導は非常にキャリア密度が低い系で起こり、複数のバンド(特にTiのt${2g}$軌道由来)がフェルミ準位を形成します。また、一部のトポロジカル物質や重い電子系超伝導体なども、その複雑な電子構造からマルチバンド超伝導体として理解されることがあります。

材料設計における考慮点

マルチバンド超伝導の理解は、より高性能な超伝導材料の設計や探索において重要な示唆を与えます。

  1. バンド構造制御: 材料の$T_c$や臨界磁場($H_{c2}$)、臨界電流密度($J_c$)などの超伝導特性は、フェルミ準位を横切るバンドの種類、数、形状、そしてそれらの間の相互作用に強く依存します。化学組成の調整(ドーピング)、結晶構造の制御、あるいは歪みの導入などにより、電子バンド構造を積極的に制御することが、超伝導特性の向上につながる可能性があります。例えば、鉄系超伝導体では、ドーピングによるキャリア密度の変化だけでなく、鉄サイト近傍の原子配置や格子定数の変化が、フェルミ面構造や磁気ゆらぎ、ひいては$T_c$に影響を及ぼします。
  2. バンド間相互作用の最適化: バンド間ペアリング相互作用の強さや符号は、マルチバンド超伝導体のギャップ構造や$T_c$に大きな影響を与えます。特定の材料系において、どのようなバンド間相互作用が超伝導を強化するのかを理解し、その相互作用を最大化するように材料を設計することが重要です。これは、理論計算と実験の両面からのアプローチが必要です。
  3. 異方性と多重性: マルチバンド超伝導体では、バンド構造の異方性や複数のギャップの存在が、磁場応答や電流輸送特性に独特の影響を与えます。例えば、$H_{c2}$や$J_c$の角度依存性、磁束線ダイナミクスなどが単一バンド超伝導体とは異なる振る舞いを示すことがあります。これらの特性を制御することは、超伝導線材やマグネットなどの応用において極めて重要です。材料の結晶配向制御やナノ構造制御などが、異方的な超伝導特性の最適化に用いられます。

応用への示唆と最新動向

マルチバンド超伝導体は、その優れた超伝導特性から様々な応用が期待されています。

まとめ

マルチバンド超伝導は、複数の電子バンドがフェルミ準位を横切る材料において発現する、複雑かつ魅力的な超伝導現象です。各バンドで異なる超伝導ギャップが開いたり、バンド間での電子対形成相互作用が存在したりすることが特徴であり、これにより従来の単一バンドモデルでは説明できない多様な超伝導特性が現れます。MgB$_2$や鉄系超伝導体はその代表例であり、それぞれの材料が持つマルチバンド性に由来するユニークな物性が活かされ、応用研究も進んでいます。

マルチバンド超伝導の物理を深く理解し、電子バンド構造やバンド間相互作用を適切に制御することは、臨界温度、臨界磁場、臨界電流密度といった重要な超伝導特性を向上させ、より高性能な材料を創出するための鍵となります。これは、材料科学、物性物理学、そして応用工学が連携して取り組むべき重要な研究フロンティアであり、将来の超伝導技術の発展に不可欠な要素と言えるでしょう。